戸建とマンションの将来

古賀・・・ただ「住む箱」として用意されたものでは、長く使い続けるための何かが足りないように思います。
ハード的には100年住宅にしても、ただ構造体が長くもてばよいというのでなく、100年の間に様々に変わるライフスタイルや、建物自体の経年変化をどのように捕えていくのかといったコンセプトが必要でしょう。
また、容積率ガチガチの建物では難しい而も多いでしょうが、ハードとして用意しすぎず、住む側の自由性を酔容する遊びが必要だとも思います。
たとえ長くもつ構造体であっても、住まいや環境はあらかじめ用意されたものという購入者側の認識が変わり、古いものをうまく使いこなそうという形になっていかなければならないとも思います。
最近はマンションリフォームの情報誌も増え、中古物件をうまく改造して個性的な住まいを実現されている方も多くなってきましたが、このような情報が展開していけば今後の動きも期待できるかと思いますし、いずれは、住戸内だけでなく共用部分も含めた意識改革に進めばよいと思っています。
ただ、中古=安く入手して思いどおりの住まいを実現、という図式では建物の長期寿命化にはつながらないでしょうから、スケルトンが本来の意味での社会的財産として自然に受け入れられるようになるまで、これから多くの時間や経験をしていかなければならないのでしょうね。
樽・・・マンションが都市の住居形態として一般的になったのは、生産人口の集稠を目的としたことによってだと思います。
そこに所有という欲求が強く現れたことで、一般化が加速されたのです。ところが結果としては、所有願望を満たすために郊外へ人が流れ、都市の空洞化が進み、現状では都市への回帰現象のせいか郊外の団地に賃貸化が目立つようになってきました。
スラム化は建物そのものが賃貸化したり、老朽化したりということですが、その原因はその地域や建物に住む必要がなくなった、住むことができなくなったことだといえるかもしれません。
もうひとつ大事なことに高齢化の問題があります。
戸建ての場合と違って、建物がある限り区分所有者ですから、年代に応じた必要な面積改変はできません。
一般に維持管理の費用は面積按分されますので、高齢になるとその負担が大きくのしかかってきます。
固定資産税も戸建てより高いですしね。
スラム化の防止は建物や地域そのものの魅力というものがないと難しいですが、同時にその魅力を次世代に継承していくことで成り立ちます。
受け継ぐ人の希望に添わなければ難しいかなあと感じます。築後訓年も過ぎると、次の大規模修繕をしようか、建替えようかという相談があります。
この相談の要点は大規模修繕をしてしまうと、いずれ行なう可能性のある建替えの資金が足りなくなる、ローンが組めなくなる、仮に建替えても子供たちは住まないということでしょう。
どうしても我々建築の専門家は建物のハード面に目線がいきがちですが、生活者の目線で考えると深い問題で、政策的に打開していかないと難しいなと感じます。
氏原・・・平成7年に大阪市近郊から、奈良市の北西部住宅地へ転居しました。
ここは近鉄が鳴り物入りで開発し、大阪の通勤圏で自然豊か、という場所にあります。
私のところは、これに近接して公庫などが山林を開発し、昭和43年から入居がはじまった一団地です。現在120戸ほどの専用住宅が立ち並んでいますが、高齢化が進み若い人を見かけることはありません。
かつて、ここ(赤卿山)から学園前駅までほとんどの人がバスを使って出、大阪への玄関口の様を呈していました。
結婚後しばらく近辺で借家住まいをしていたのですが、朝の快速急行は乗ったら最後、大阪鶴橋まで身動きすらできない状況にありました。
今は同時間帯で新聞が読めるような込み具合。実働年齢の通勤客が減ったということなんでしょうね。
もうひとつ、夫婦で事務所に通うのに通勤定期代が9万円かかります。市内でマンションが買える(借りられる)費用です。
ますます郊外での居住を考える人は減っていくのだろうと思っています。
藤井・・・やはり大多数のマンションはコスト優先で建てられています。売るための過剰な設備をし、建設コストを下げるためにゼネコンをたたいて工事を発注しています。
目先のことしか見えてない状態ですから、遠い将来のための建築的な配慮までには至ってはいません。
そのあたりが変わってこないことには現状のままになりそうです。
山口・・・買う側にもモノを見る目がないといけませんね。場合によっては、インテリアや設備の改装改造が容易にできることなどを優先条件で選択する必要もあるかもしれません。
お金をかけても大規模なリフォームをしないで地震対策ができる場合もある。←いろいろな物件を見て知識を得よう。
司会・・・マンションの将来像は未知数のようですね。
それだけマンションという集合・共同住宅には多岐に渡るテーマが存在するということだろうと思います。
おおげさにいえば、ひとつの建物に複数の価値観をもつ住人が住むのですから、それらを統合する将来像というのは予測が難しい。
だから、その予測する労力を嫌い、今というタイミングだけを見据えてマンションが生産され続けるという構図もみえてきたように思います。
住宅ならばひとりのクライアントの要望で冒険を犯しても、未来を示唆する住宅はできます。
しかし、大規模な投資が必要なマンションでは冒険をするにはリスクが大きすぎますね。
マンションか、一戸建てかの選択肢だけでない、複数の提案が出るような将来の日本の社会に期待したいと思います。